星になった天使
クッキーは、2000年にタイのバンコクの外れにある「チャトチャック」という市場で見つけたブラックタンのダックスフンド。
ミニチュアにしては大きいけれど、スタンダードにしては小さい。
血統書もない子なので大人になったら足が伸びてドーベルマンやピンシャーに育つかもしれないなんて不安もあったけど、ちゃんとダックスフンドでした。
日本円で8000円くらいの子が家族の一員となり、すぐにお腹に寄生虫が見つかり治療することに。やっぱり市場の子ってかんじ。でも末っ子クーちゃんはとってもやんちゃ娘で私たち家族を困らせたり、笑わせたり、とっても元気な子でした。
2001年に日本に帰国するのと同時にクーちゃんも飛行機に乗って日本にやってきました。
初めての四季。雪に走り回ったり、変わらず元気な女の子。
私とはたくさん喧嘩をしました。私もすごく子供だったね。お互いにやんちゃ娘だったね。
その後順調に育っていったクッキーでしたが、2012年頃、肝臓が悪いと診断され、肋骨が浮き出てしまうほど痩せてしまいました。手術ができるような状態ではなかったので、食事療法を選択。それでも治療を続けた結果、徐々に体型も元どおりに。
けれど、2014年頃、急に痙攣が止まらなくなり意識も朦朧としてしまいました。アンモニアが身体中に巡ってしまい脳障害も起こしていました。
獣医さんには「今夜が山だと思ってください。」と言われ、覚悟をしながらも病院で治療をしてもらいました。一晩経って、点滴が功を奏しクーちゃん大復活!
元気なクッキーに戻ってくれました。
こうした発作を今までに何度か繰り返し、そのたびに獣医さんから覚悟を。とお話しされました。でもそのたびにクッキーは不死鳥のごとく力を振り絞って生きてくれました。
この頃から階段も上がれなくなり、オムツを常につけ、白内障も進み目はほぼ見えていませんでした。痴呆症の症状も出て、今までできていた「お手・お座り・待て」など私たちの指示を理解することがなくなっていました。それでも大好きな「お散歩」と「ご飯」は理解して、喜んで家の中を走り回っていました。
でも、犬のように「ワン!」と鳴くことは一切なくなり、寝言や寝息しかクーちゃんの声を聞くことはありませんでした。昼間は寝ていることが多くなり、歩くときはとぼとぼ・・・。壁の角やソファの隙間に挟まってしまったり、挟まっていなくても後退も左右にいくこともできず前に進むしかないので、挟まった気になって「キャイン!」と夜中に泣くことが多くなりました。気付けば顔の周りの毛は真っ白になっていました。
そのときすでに14歳。行動がまさに老犬の症状だったので、「仕方ない」と思っていました。
それから2年。ずっとその症状のまま2016年1月1日に16歳の誕生日を無事、迎えられたクーちゃん。「クーちゃんは本当長生きだね。」「クーちゃんずっと一緒にいようね。」と声をかけました。
まだまだこうして来年も、17歳になったねって話すんだろうと思っていました。
でも、それでも、それはあまりに突然にやってきたのです。
その日の朝、いつも通り散歩から帰ってきたクッキーは、家の中を走り朝ごはんを食べている私の元に駆けてきて「散歩行ってきたよ!」「今からご飯食べるんだ!」と言ってきました。それは毎日の変わらぬ光景でした。
仕事から家に帰ると、クーちゃんが明らかに元気がありませんでした。
その日は母が休みで家にいたため1日の様子を見ていたのですが、「なんだか体調よくないみたい」と言っていました。いつも以上に歩くのがゆっくりで、顔を見ると口元がよだれで汚れていました。「どうしたの?」と話しかけながら拭いてやり、抱いてやるとすぐに目をほちほちと閉じていき眠そうにしていました。
私が抱くといつもすぐに眠りにつくので、それにも私は何の疑問も抱きませんでした。
でも 今思うとこの時すでに相当辛かったのかもしれません。
動物は人の言葉が話せないし、クーちゃんは声も上げられない状態だったので行動ですべてを読み取る必要がありました。
そしてその日の夜に3度吐いてしまい、次の日病院に連れて行くことに。
クーちゃんが前日の夜吐いたことは朝起きて母から聞かされました。
私は仕事があったのでクーちゃんをよろしくね、と言って家を出ようとします。
すると、ボロボロの体を引きずるようによたよたと玄関まで歩いてきて、お見送りをしてくれました。いつもは来たりしないのに。そして私の手の匂いを嗅ぎました。私はくーちゃんの頭をいつものようにくしゃっと撫でて「行ってきます」。玄関の淵まで来ようとしたので「落ちるよ!」とドアを閉めながら一言。
この時すでにクッキーは自分でわかっていたのでしょう。これが最後だって。
意識のあるくーちゃんとお話をしたのはこれが最後でした。
その後、お昼くらいに病院に行った母から連絡がありました。
エコーや血液検査、尿検査の結果胆のうが肥大していて、破裂のおそれがあり即入院となりました。お腹から尿を採取されたりするのにクッキーはびくりともせず反応もなかったそうです。痛いはずなのに。
とりあえず、点滴などの処置をしてもらいその後の連絡を待ちました。
18:30頃。
母からの連絡。
昏睡状態で、血圧や体温の低下があり手術はできない状態であると言われました。
このまま点滴などの治療を続けることもできるが、そのまま病院でなくなってしまうかもしれない、と。もしくは治療を断念してお家で看取ることにするか選択してください。とのことでした。
そんな選択、私はすぐに判断できませんでした。
泣きじゃくる母と私。電話越しにどうしよう、とお互い言っていました。
でも、もしものことがあった時、病院でひとりぼっちで死んでしまったとしたら。クッキーはとてつもなく寂しいと思いました。今だってきっと病院で一人で不安でいっぱいだろう。
少しでも家族と一緒にいさせてあげたいと思い、母に「お迎えに行ってあげて」と伝えました。
電話を切った私は仕事場から走って、本当に走って走って走って家に帰りました。
1分1秒でも早く、くーちゃんに会いたかった。
ドアを開け、部屋に入るとそこには毛布にくるまれ母に抱かれるクッキーがいました。
意識がなく目の焦点が合っていません。触れてみると冷たく、その時すでに心臓と肺以外のすべての内臓は全く機能しておらず、体温は35度しかありませんでした。とにかく温めることに専念し、名前を呼びかけ続けました。
痛みに波があるようで、いきなり奇声をあげ「ワンワン」と吠えました。久しぶりにきくクッキーの声がこんな叫びだなんて。辛くてたまりませんでした。痛いんだね、でもどこが痛いのかもわからない。とにかくさすってやるしかできません。
父も帰ってきて、離れて暮らす兄も駆けつけてきてくれました。
交代交代でみんなでクッキーを温めました。「がんばれ」と声を掛け続けました。
私も懸命に声をかけ、撫で続けてやっていました。
兄が明日も仕事のため帰宅すると言う時。
私に抱かれ、懸命に呼吸を繰り返していたクッキーがいきなり「カハッ」という音を立て、大きく口を開き息を吸ったかと思うとみるみるうちに瞳孔が開き首がだらんと下がりました。
瞬間の出来事で何が起きたかわかりませんでした。「クッキー!!!」と声をかけるも反応がありません。母が体を確かめ「心臓が動いてない!」と叫んだ瞬間、私はくーちゃんの小さな心臓を心臓マッサージしました。いつかテレビで見た動物への心臓マッサージの映像を思い出し、必死になって続けました。2、30回マッサージをしてようやく1回息を吸える状態でした。戻っておいでって言い続けました。がんばれ、クッキー!
15分ほど続けたときクッキーが息を吹き返し、また自分で呼吸しはじめました。瞳孔も徐々に戻り失った希望の光が一瞬戻ってきたのです。
きっとあの時、お兄ちゃんを引き止めたかったんだね、「まだ帰らないで、もうちょっと一緒にいて」って。まだみんなと一緒にいたかったんだね。
吹き返した呼吸も、また徐々に薄く1回1回が振り絞るようで苦しい呼吸に変わっていきます。ヒュウッという途切れそうな呼吸になったとき、また瞳孔が開くのがわかりました。
そしてまた心臓マッサージを開始しました。それでも明らかに先ほどよりも小さくなっていく呼吸。心臓マッサージによって空気が押し出されても、自分で吸うことができません。
どんどん、どんどん押し出される空気も小さくなっていきました。私の手も母の手も限界を超え痛みも忘れて無我夢中にしていました。止めたら死んでしまう。
でも、もう十分頑張った。くーちゃんは最後まで戦い抜いた。もう休ませてあげてもいいんじゃないか。でも1秒でも長く生きてほしい。この矛盾との戦い方がわかりませんでした。
一切息が漏れなくなってしまったとき、ようやく手を止めることができました。
5月27日 23:05 16歳と5ヶ月。母の腕の中でくーちゃんは永い永い眠りにつきました。
本当に、長い間とてもよくがんばってくれました。きっと晩年のころは本当に辛かったと思います。それでも懸命に生きてくれました。
私の人生の半分以上をくーちゃんと過ごし、私のすべてを見てきたクッキー。
悩みもすべて聞いてくれていたし、疲れて帰ればくーちゃんの瞳に癒されました。
辛い時はずっとそばにいてくれたし、一緒に走り回ったり追いかけっこしたり、おいでって言うとゆっくりでもちょっとずつでも絶対に来てくれるくーちゃんが本当に大好きです。
無償の愛を、本当にたくさんの愛をありがとう。
ずっとずっと一緒にいるとくーちゃんに約束しました。また必ずいつか会えると信じています。また生まれ変わってきてね。
長文になりましたが、ここまで読んでくれてありがとうございます。
今日、くーちゃんとお別れをしてきました。
今の感情を忘れないうちにこの文を書きました。
今回の記事は、くーちゃんががんばって生きて、私たちにくれた愛を残したいという私のエゴと、
今動物を飼っている人、動物を飼おうとしている人、動物を大切にできない人に、動物に愛を与えてあげることをどんなときでも忘れないでほしい。ということを伝えたくて記録しました。
彼らや彼女たちが私たちにくれるのは本当に無償の愛です。言葉は伝わらなくても気持ちは絶対に伝わります。あなたが与えた感情をそのまま動物たちは返してくれるのです。それが楽しい気持ちでも悪い気持ちでも。
動物は人間が思う以上にすべてを見ていて、そして自分のことをすべて分かっています。
どうか、あなたの愛を与え続けてあげてください。お願いします。
どうか一人でも多くの人に何かひとつでも伝わりますように。
くーちゃん、あなたの命とすべてをかけて色々なことを教えてくれて本当にありがとう。
世界一、愛しているよ。これからもずっと。
ゆい
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